つぶやき一覧
今年の目標。
今年も何とか無事に新年を迎えることができた。
私は年末に運気が下がるらしく、年末から年明けにかけて毎年嫌なことや体調をこわす事が多い。
すべて身から出た錆であると、この年になって自己批判するようにはなったが。
昨年は(といっても昨日までのことだが)、年末最後の忘年会をすごく暖かい雰囲気の家で過ごすことができました。
ご家族の韓国戸籍整理の業務依頼をしていただく身でありながら、気を使って私の家族も含めて家に招いてくれたのだ。
近所同士であり、子供も含めて非常に楽しく有意義な時間を過ごさせていただいた。
ただ、酒の入った状態での私の説明(戸籍整理についてのもの)がご家族にちゃんと伝わっていたのかは自信が持てないが。
とにかく、自分自身も手を抜かず頑張っているが、何よりもこんな私ごときを頼って仕事の依頼をしてくださるお客様に、年の瀬に改めて感謝することを気づかされた一日だった。
この場を借りてお礼申し上げます。
『先輩、姉さん、そして遠方から来て楽しい会話をしてくださった大先輩!本当にありがとうございます。』
今年は(と言うか毎年のことだが)、奉仕と誠心誠意、それとイマイチ苦手な密着をテーマに、一生懸命クライアントに尽くすことを“継続”しますので、皆様よろしくお願いします。
元日。
年賀状に大掃除に。
- 2011.11.25(金)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
毎年この時期になると気がかりなのが、大掃除と年賀状。
独立してからは個人と会社とで300枚以上の年賀状を出しているが、もらうのはその半分くらい。
特に気にしてるわけではないが割には合っていない。
最近はメールやツイッターもあって『挨拶の電子化』が進むが、自分は紙媒体での年賀状の方が気に入っている。
とりあえず今日は枚数を確認するだけにとどめて、文面などは明日以降に先延ばし。
あと、
家の前のドブさらいの強烈な臭いを想像すると、年々正月がイヤになるのである。
スマートフォン②。
スマートフォン(ipone4s)を使い始めて10日ほど経った。
正直未だに使いやすいのかorにくいのか疑問だ。
以前に比べて電話をいじっている時間は確実に増えており、その間、他のことは思考停止状態となる。
(大変良くない!)
今日それを特に実感する失敗をした。
電車の待ち時間についつい携帯をいじってしまい、何と3度も乗り過ごしと降り間違いを犯してしまったのだ。
仕事中であるにも関わらずあまりにも不謹慎だ。自分に対して怒りを感じた。
そこで対策。
1、仕事中は駅構内では通話以外に電話を持たないこと。
2、外出先で電話をいじる際には必ず立ち止まること。
3、手帳の使用を復活すること。
※3については、『本日、何と、iponeアプリの手帳のデータが全て消えた!』ので、やはり紙媒体で残す必要を早くも知ることとなったので。(言うほど忙しくなく)実害(手帳への記録)が少なかったので助かったが。
これを守って、機械に振り回されない自分を取り戻そうと思ったのだ。
サポーター。
- 2011.09.28(水)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
個人的に応援(一応スポンサーも)しているサッカーチームの監督を、僕の親友が務めている。
不振にあえいでいたチームを再建するため、本業(不動産関係)そっちのけで頑張って、昨年関西リーグへの昇格を成し遂げた。
今シーズンは先日最終戦を戦い終え、リーグ残留が決定した。
(ちなみに最終戦は5対1の惨敗だった。一緒に観戦した私の子供はしきりに野次を飛ばしていましたが。)
昇格も残留も、自分の仕事を持ちながらチームのために時間を惜しまず飛び回る監督の姿を見ていたので、正直すごいと思う。
また、サッカーだけではなく、チームのメンバーの就職や日常生活上の個人的な悩みまで聞いてあげ、その解決にも神経を注いでいたのだ。
彼の行動力を見たとき、日々、自分の家族と2名の従業員のことでアップアップしている自分が情けなく思える。
来期も(一応)スポンサーとして、もう少し物心両面で協力をしようと思案中だ。
正直、近くに頑張っている友人がいる事で本当にいい刺激になり、良きライバルとして自分への叱咤激励を促される。
母なる証明。
- 2011.09.27(火)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
たて続けに韓国映画を観た。
一つは『母なる証明』(原題:Mother)、もう1作は『黒く濁る村』(原題:苔)。
どちらの映画もどちらかと言うとホラーに近いミステリー作だ。
『母なる証明』は母と子、『黒く濁る村』は父と子の関係を織り交ぜたストーリーとなっていた。
母子家庭で育った私には、『母なる証明』の方は単純なミステリー映画としてだけではなくヒューマンドラマのような感覚で観ることが出来た。
それにしても『母は強し』とはよく言ったもので、実際にあの映画のような母親が存在することは十分に想像できてしまう。
私の母も年を追うごとに精神的な屈強さが目立つようになってきた。
このまま元気でいてくれたらと願う気持ちと、もう少し柔らかくなって欲しいと願う気持ちが入り混じりつつ、、、