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つぶやき一覧

『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。

ドラマのような立派な銀行ではなかったが、サラリーマン時代、僕もバンカーとして少しは活躍していた時期がある。

その当時、こんな出来事があった。

半沢直樹ではないが、当時とにかく顧客だけのために一生懸命だった僕は、自営業を営む世帯を担当していたがそこの奥様から住宅ローンの申し込みを受けた。

決して条件の良くない当時の勤め先(信用組合)であったが、長い取引実績と担当者の僕を信頼して融資の申し込みをされたのだ。

商売も順調で子どものための預金も月々計画的にされていた信頼できるお客様だと判断して、融資の審査へ稟議をあげた。

しかし、当時の上司は開口一番『なんでこの人お金無いんや!』と言うのだ。

確かに繁盛している商売に比較すると頭金として用意できる資金は少なかったかも知れない。

ただ、商売を初めてまだ3年とたたない状態であったし、育ち盛りの3人の子がいたことから月々の出費も相当な額であり、ゆとりをもって住宅資金を蓄えるまでに至らなかったのだ。

住宅購入の理由も、当時入居されていた賃貸住宅の家賃よりも長期返済により住宅ローンを組むことの方がはるかに負担が軽くなることを考えての申し込みであった。

それを考慮しての申し込みであったにも関わらず、現況の資産の無さをことさら指摘する上司に無性に腹が立った。

気が付くと支店長を交えて応接間に呼ばれていた。

怒りに任せて上司に何と言って噛みついたのか全く覚えていないが、その上司は相当ご立腹の様子。

支店長に説教をされつつ思い出したのは、その上司は比較的裕福な家庭に育ったということ。(一方の僕は万年借家暮らしの貧困家庭。)

『もしかしてお金に対する尺度が僕とその上司とでは相当に違っているのではないか。』

そんなことも、当時高卒で社会経験も少ない僕には考えつかなかったのだ。

(今となっては話の持って行きようで何とか融資できたのではないかと思う。)

育った家庭の経済環境の違いによって大人になってからも“お金”に関する価値観が違って当然だ。

法曹界においてもロースクールの学費や司法修習生に対する貸与制の導入等により経済的負担が増大する一方だと聞く。

お金持ち出身者だけが法律を司る社会になってしまうのではと、過去を振り返りつつ資本主義社会日本の行く末が心配になる。

『ルポ虐待 -大阪二児置き去り死事件-』を読みました。

『鎮魂 さらば、愛しの山口組』を買おうと書店へ行くと、『ルポ虐待』の新書が目に入った。

副題にある『大阪二児置き去り死事件』の文字を見て、あの痛ましい事件について書かれたノンフィクションだと気付いた。

あまり思い出したくない事件でもあり、堀江にある事件のあったマンションを通る度にイヤでも思い出してしまう忘れることのできない事件でもあった。

買うか買うまいか迷ったが、勇気を出して買うことにした。

内容は、事件の加害者であり亡くなった二児の母でもある女性の生い立ちから今に至るまでを本人や関係者への緻密な取材に基づいて詳細に書かれていた。

最初の部分は本当に残酷で心の痛い内容だった。読むのを辞めようと思うほど。

しかし、次第に事件に至った具体的な概要が明らかにされていく。

途中、筆者に共感する部分もあり、また懲役30年の判決に関わった当時の裁判員たちに共感する部分もあり、自分の中で葛藤しつつ何とか最後まで読みきった。

正直とても疲れた。(梁石日著『闇の子供たち』を読んで以来の読後の疲れだった。)

でも、最後まで読んで良かったと思ったし、いろいろ学ぶことが多かった作品だ。

悲しいことだが、本作品で取り上げられた女性のように子供を死なせて自分が生き残る人間がいるのは現実社会で起こっている事実だ。

『カシコギ』(趙昌仁著、韓国書籍)に出てくる主人公タウムの父のように自分の命と引き換えに子供を生かす人間はフィクションの中の話でしかないのかと、世の中を悲観してしまう。

韓国の故郷(コヒャン)が郡単位まで同じ同郷の方との出会いについて。

先日一緒に食事をさせていただいた韓国からお越しの方と話すと、コヒャン(故郷、一般的には父方の本籍地となる)が郡まで同じだった。

長く在日コリアンをやっているが郡までが同じ同郷の方は2人目だ。

大阪に住む在日コリアンは済州道(現在は済州特別自治道)をコヒャンに持つ方が多く、僕みたいに全羅道をコヒャンに持つ人間は極少数だ。

そして今日、事務所へ相談に来られた方が偶然にも郡までが同じの同郷の方だった。

40年以上生きてきたうちのわずか4日の間に、郡までが同じ同郷の2人の先輩に会ったことに奇跡を感じた。

これは先祖が僕を呼んでいるのではないかと思わずにはいられない。

何故なら、僕は母方の先祖の墓参りは済ませているのに、父方はその地にすら足を向けたことが無いからだ。

母方は済州道で今でも親戚同士の付き合いがあり、僕も数年前に母とその姉弟を伴って現地へ行ってきたのだ。

ちなみに僕の戸籍(家族関係登録簿)上の本籍地(登録基準地)は母方の済州道になっている。

その理由は、韓国戸籍(家族関係登録簿)を整理する際に父方の本籍地を探せなかったからだ。

あまり気に掛けたことは無いが、ずっとコヒャンは全羅道と聞いてきたので違和感が無くもない。

ま、国民の半数近くがソウルに住む韓国では、本籍地(登録基準地)をソウルに移す方も多いようなので、僕たち在日コリアンのように本籍地などにこだわること自体が古臭いのかも知れないが。

根なし草の民ゆえ、目に見えない『ルーツ』や行ったこともない『故郷』にこだわってしまうのだろうか。

お終い。

※マメ知識:昔と違って現在は結婚しても夫婦の本籍地は一緒にはならないのだ。何故なら、2008年1月1日施行の『家族関係登録法』には戸主の概念が存在しない。そのため、今でも良く使われる『誰々の戸籍に入る』などと言う事態が生じないのである。

子どものサッカー観戦で学んだことについて。(黙って見ていられない親、静かに見守る事のできる親。)

仕事とはかけ離れますが、暫し他愛ない話をお聞きください。

先日、子どものサッカーの練習試合を見に行ったときの話。

1年以上通っている息子のサッカー観戦に、どうしても連れて行って欲しいと言う娘の要望に答えてはじめて見に行く事にした。(自分が口うるさい親だと自覚しているので、“子どもの世界”にはなるべく立ち入らない事を心がけている。)

なので、我が子がサッカーの試合をする姿を見るのも今回がはじめてだ。(仕事で行けないのもあるのだが。)

僕も昔、中学まではサッカー一筋でやっていたので、子どもがサッカーをやっている姿など見た日にはやかましいサポーターとして余計な活躍をしてしまいそうで見にいかないようにしていたこともあるのだが、、、

サッカー観戦をしながらそこに来ている沢山の親御さんたちがどのようにして子どもに接しているのかを観察してみた。(サッカーよりそっちの方に興味が湧いた。)

それは千差万別であった。

僕の子と同じチームでどう見ても一番活躍していた子どもに試合後ダメ出しする親、試合中から試合後まで絶えずアドバイス(?)を送り続けてる親、終始ビデオ撮影している親、試合など見ないで喫煙所でひたすらタバコを吸ってる親。

とにかく熱心な親達で溢れかえっていた。(この場が誰のために用意された場なのか忘れさせてしまうくらいに。)

その中でも比較的多かったのは、静かに子どもの姿を見守る親の姿だった。

試合が終わるとニコニコしながら子どものそばによって何やら話しかけていた。

耳を傾けると、今まで行われていた試合の話では無く、『今からどこへ出掛けたいのか』、『何か食べたいものは無いか』などを聞いているではないか。

『あ~、きっとこんな親を持った子どもはずっとサッカーを好きでいられるんじゃないかな~』と思った。

その親御さんの子どもへの接し方を見た後からは試合の内容に気がいかなくなり、夢中でボールを追いかける我が子のたくましい表情だけを見て楽しむ事ができた。

頑張る子どものそばに必要なのは親の“熱視線”では無く黙って暖かく見守る目であり、子どもにサッカーを教える人間は“コーチ”一人で充分だと言う当たり前の事を教わった一日であった。

お終い。

相続をはじめ、ここ数週間の仕事は亡くなった方の手続に関するお手伝いばかりなこと。

この仕事をしていて不思議なのは、時によって似たような仕事が集中的にやってくることだ。

昨日のブログでも紹介したが、今僕の事務所で一番多いのが在日コリアンが関係する相続についてのお手伝いだ。

何より複雑で大変なのが、未整理のまま放置されている本国(韓国)の家族関係登録(旧戸籍)に関する謄本の入手やそれに基づいた相続人の確認作業、それに一番苦労するのが日本語訳。

被相続人から相続された不動産の名義を変更する際に、韓国籍の在日コリアンは法務局へ本国の身分関係を証明する書類を添付するのだ。

もちろん、ハングルで表記されているものについては日本語訳を付けるのが基本。

司法書士さんや弁護士さんからその件での依頼が来るのだが、その作業はほとんど事務員さんへまる投げ状態。

彼女の『目』と『肩』と『神経』を酷使させていることに多少の罪悪感を持ちながらも、やって来た仕事は当然のようにありがたく請け負っている。

中でも、『縦書き・手書き』の除籍謄本は強敵である。

当時の役所の職員さんが、癖のタップリ利いた漢字&ハングルで枠からはみださんばかりの勢いで書き上げた代物だ。

ビッシリ詰まった文字を眺めながらの事務員さんのため息がこだまする、、、

見ていて面白いのが、昔誰かに教わったことのある『創氏改名』の痕跡がありありと記載されていること。

『あ~、ホンマにこんな目にあってたんやな~』と感慨深く思う反面、もう遠い昔の出来事だと何も感じない自分もいる。

不思議に思うのは、創氏改名によって無理やり付けられたと言うその日本名を、日本での生活手段として使用している彼らの子孫(僕ら)がいくらでも居ること。

(ちなみに僕の日本名:通称名は近藤。その由来は10数年前のNHKの大河ドラマである。創氏改名とは何ら関係ございませんが。)

何とも複雑怪奇な『歴史問題』なのであった。

お終い。

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