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つぶやき一覧

『人見知り』は悪なのか?と考えさせられたこと。『ハッキリ5』小藪の苦言。

深夜番組の『ハッキリ5』で森3中の黒沢カズコが自身の『人見知り』について打ち明ける場面があったが、それを聞いていた司会の小藪一豊が、「エエ年こいて自分は人見知りやからと他人と距離を置くのは、その人間が他人のことを見下している証拠や‼甘えんな‼」といつもの勢いでたたみかけていた。

黒沢カズコはただ黙るばかり。

テレビの中の出来事とはいえ、自分自身のことを『極度の人見知り』と公言している僕としては、小藪の苦言に正直傷付いた。

その昔、就職したての職場になじめず、先輩から『自閉症か!』と馬鹿にされた経験もある僕ですが、今では結婚して事務所を構え何とか社会生活を送っている。

それでも大勢の人が集まる場が苦手で、仕事以外で初対面の人と話すのに必要以上に時間をかけてしまう。
(仕事でできるなら普段でもやれ!と嫁にきつく言われている。確かに!)

誰にでも自分をさらけ出すように話をする人のことをうらやましく思うし、それをできていない自分が良くないとも思っている。

だからと言って小藪が言うように「他人を見下して」などいないが、他人からそのように見られているんだとしたらショックだ、、、

自分の子どもには自分見たいにならないことを祈るが、やはり『蛙の子は蛙なのか?』と、最近の子どもの様子を見て感じることが多い、、、

何だか済まない、、、

「人を見る目」はやしなわれるのか?舛添要一氏を非難する都民の研究。(『日本会議の研究』にかけて)

電車のつり革広告で見かけたが、「6年前の総理大臣候補1位が舛添要一だった」ことをプレイボーイ誌が取り上げていた。

確かに『今回の問題』が発覚するまでの舛添要一氏は、比較的国民からの評判は良かったのではないだろうか?

それがマスコミを通じた一斉放火により全国民が鬼の首を取ったかの如く非難のオンパレード。

その中には都知事選において舛添要一氏に一票を投じた都民の方も居ただろう。

「自身の投じた一票についてはどのようにお考えなのだろうか?」と、素朴な疑問が湧き出てくるのだが、、、

次の参院選では、マニュフェストなど表面上の政策よりも個人の資質や生き方に視点を注ぐのも面白いかも。
(短い選挙戦の間にそれを見抜くことが不可能に近いことは承知しているが)

投票に行けない<4世代永住外国人>の僕はそう思うのだが。

某官公署の職員にブチ切れる事務員。

長年連れ添った事務員さんの言動を見ていると、思考や発言が僕のそれに似てきてしまっていることに罪悪感を覚える。

とにかく頼んだ用事を驚くほどの速さでこなしてくれるので相当に助かってはいるが。

ある日の電話。

某官公署の職員とやり取りしている様子だったのだが、請求したのと違った書類が届いたまでは許したが、悪びれずに再度請求しなおすように上から目線で迫る職員に、

『役所やからって特別と思ったらあかんよ!

民間の企業やったらミスったら自分から出向いてお詫びするんよ!

それを役所はやったらアカン言う決まりでもあるの‼』

その迫力に圧倒される所長の僕であったのであった。。。

土日にかけて「モネの睡蓮池」を見る旅に行ってきました。

生前、母が見たいと言っていたいわゆる「モネの池」を見に親族で行ってきました。

絵のことは全く素人の僕ですが、クロード・モネと言う画家が、晩年、描き続けた「睡蓮」の連作を彷彿とさせると言われている池で、名前もない小さな池です。

驚いたことに、そんな小さな名もなき池を見に僕たち以外にも沢山の人が訪れていました。

うらやましいくらい高価な一眼レフカメラを抱えたカメラマンをよそに、僕も母の墓前に飾るべく写真をパチリ。

出来栄えはさて置き、母へ良いプレゼントができたと一人喜んだのでした。

お終い。

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母の通夜に参列していた場違いなほど沢山の若者の姿を見て思うこと。

つい先日、69歳でこの世を去った母の通夜には、どこから来たのか誰の知り合いなのかわからない20代前半と思しき若者がたくさん居た。

後でわかったことだが、その若者たちは、生前母が働いていた大手遊技店の社員やバイト、元職員達だったのだ。

母は生前、仕事先での若者たちとの触れ合いをとても楽しんでいる様子だった。それが生きがいとも言っていた。

それにしても、たかが「パートのおばちゃん」の通夜にこんなに多くの仕事先の同僚や元同僚が詰めかけるだろうか?(30~40人は来ていた。)

驚いたことに、その方たちの中には会社の経営陣(会長、社長、専務など)まで居たのだ。

しかし、通夜が始まったとたん、僕はその理由を理解した。

みんな、母の遺影を前に泣いていたのだ。それも大泣きだ。

仕事先での触れ合いを楽しんでいたのは母だけではなかったのだ。

彼らもまた母と話すこと、母に悩み事を打ち明けて聞いてもらうことを楽しみにしていたのだ。

いつも誰にでも分け隔てなく、人と真剣に向き合い、時には自宅に呼んで食事を振る舞っていた母の生き様を見せつけられた瞬間だった。

尊敬する母にどこまで近づけるかわからないが、母が最後に見せた大きな背中を、僕は死ぬまで追い続けたい。

 

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