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韓国家族関係登録創設許可手続の事例紹介。(同姓同名姉妹のケース)

様々な問題を抱えて当事務所へ依頼されるお客様。

その中でも、『在日コリアンの本国パスポート取得並びにそのための身分関係登録の依頼』ほど全ての事案においてイレギュラーなケースが見られるモノは無い。

戦前戦後の混乱期に日本の役所へ届け出を行った事案が多く、依頼者が当時日本で生まれた本人若しくはその子たちであって、絡まった糸を紐解く作業は一つとして同じケースは無いように思う。

最近の事例を一つ紹介しましょう。

韓国の家族関係登録簿(旧戸籍簿)へ自身の身分登録を行おうと考えた女性が、両親の家族関係証明書(旧戸籍謄本に該当するもの)を入手すると、そこには自分と同姓同名の姉が存在していた。女性はその時初めてその姉の存在を知った。

他界した父からそんな“姉”がいることを聞いたこともなく、母に確認したところ何と母もその姉の存在を知らないと言う。【後掲解説1】

僕がまず疑ったのは本人の届け出が間違って登載されてしまったのではないかということ。

しかし調べるとそうではなかった。

過去、韓国の戸籍法は家族中の同姓同名者を認める条項が存在したがその後改正され現在ではそれは認められない。

と言うことで、この女性は両親の娘として出生届(報告的届出。手続き上は家族関係登録整理。)ができなくなってしまったのだ。日本の役所にはちゃんと両親の嫡出子として出生届出がなされているにも関わらず。

こういった在日コリアン特有のイレギュラーなケースに備え、韓国の法律並びに手続きにはそれを解決できるモノが用意されている。その一つが『家族関係登録創設許可手続』である。

さっそく領事館へ事情を説明して念のため手続きの可否を聞きに行ったところ、『この事案は領事館では受付できません。』とけんもほろろ。

ある程度その答えを予測していた僕は、“常套手段”を使ってこの手続きを進めることに。

2か月後、この女性は無事両親の名前が載った韓国の家族関係証明書を手にすることが出来たのでした。

※適法な“常套手段”によりますのでくれぐれも誤解されないように。

【解説1:嫡母庶子】過去、日本においても韓国においても男子優先の戸主制度が存在し、夫が外で作った子(庶子)を認知した場合、その子を正妻(嫡母)の子として夫の戸籍に入れることができたのです。それにより、見たことも聞いたこともない兄弟(姉妹)が同一戸籍に登載されていることも珍しくなかったのです。今では考えられない『男のやりたい放題』がまかり通っていた時代もあったのですね。

正義感あふれる若者の行動に感動したこと。

先日地下鉄に乗っていた時の出来事。

堺筋本町の駅に到着した電車が出発のアナウンスを終えた後もしばらくドアを閉じずにいた。

その数秒後、最後尾の車両に座っていた僕の耳に幼児のかすかな悲鳴が聞こえてきた。

とても嫌な予感がしたので何があったのかと車外へ飛び出そうとすると、ドタドタと人の走る足音が近づいてきた。

血相を変えた若い男性が僕が乗っていた最後尾の車両の運転手に向かって、「子どもが手を挟んだ!(正確にはドアに手を引き込まれたようだ)」と叫んでいた。

興奮しながら運転手に「ドアを慎重に閉めるようにしてください!」と伝えた若者は、今度は自分のいた車両(ちょうど真ん中あたり)にいったん戻り、また走って子どものいる先頭車両の方へ向かった。

幸い大事には至らず数分後に電車は発車したが、どう見ても自分の子どもに起こった事故ではないにも関わらず、機敏にそして一生懸命に走り回る若者の姿に感動させられた。

手をドアに引き込まれた子どもはさぞ痛かったと思うが、他人のことに一生懸命になる青年の姿に何だか気持ちが爽快になった。

他人に無関心なこの世の中で珍しく良い出来事に出くわした体験でした。

『やられたらやり返す!』ではもう遅いのではと思うこと。

またもストーカーの犯行と思われる痛ましい事件が起こった。

報道で毎日のように取りざたされている女子高生殺人事件だが、犯人は21歳の青年で事件によって自らの人生までをも棒に振ってしまったと言っていいだろう。

仕事柄、夫婦間のトラブルについての相談を受けることも多いが、その多くが妻に三下り半を突き付けられた『男たち』による嫌がらせ行為への対処の仕方だ。

実に未練がましく、暴力的で、利己的な行動をとる男たち。

配偶者や恋人に別れを告げられた時、それまでの『愛情』がどんな経緯で『憎しみ』や『殺意』に変わるのだろうか?

同じ男として想像はしてみるもののまったくピンとこない。

現在マスコミは警察批判に矛先を向けているようだが、警察とていずれ『殺人者』となる人間を見分けることなど不可能であるし、24時間体制で一個人を警護することなどできないのではないかと思う。

マスコミや周囲が何と言おうと被害者の無念と親族の絶望は癒えることは無いだろう。

桶川で起こった事件以降、いったい何人の女性が命を落としたことか。

このような事件が起きるたびに『やられる前にやる!』以外、我が子を護ることは不可能なのではないかと思ってしまう。

『やられたらやり返す!』ではもう手遅れなのではと思うのであった。

(あくまでも想像の話ですが。)

『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。?その3?

『半沢直樹』のような勇ましい働きぶりはとてもじゃないけどできなかったサラリーマン時代。

それに根っからの無愛想さとふてぶてしさを兼ね備え、またそれを欠点とも気づかないままスクスク育ってしまったことにより、上司からは随分嫌われていたと思う。

お世辞の一つも言えない人間が、よくも14年間サラリーマンとして勤められたと不思議にすら思う。

逆にいうとそんな人間を長期間雇っていただいたことに感謝もしている。

そんな象徴のようなこともあった。

僕が配属された支店の後輩がある融資案件を稟議に上げたところ、上司に否決された。

キャンペーン中である融資商品を売ろうと必死に掛け合って取ってきた融資案件を否決されたその後輩は意気消沈して落ち込んでいた。

そんなとき、ある役員からのトップダウンの融資案件がスルーパスを通すがのごとく決済されたのだ。(ごくごく当たり前のことだが。)

問題は、その融資案件の内容と後輩が上司に否決された融資案件が酷似していたこと。

キャンペーン総括の席上、僕はすかさずそれを指摘した。

融資の内容ではなく持ってきた『人』によって判断が変わるのか!、それを問題にしたのだ。

一人エキサイトしている僕の周りで、他の職員はただ俯くばかり。

中には僕の行動を見て薄笑いを浮かべる上司様も。

『当たらず障らず目立たなく。上司の機嫌は損なわず。』

銀行員としての基本姿勢をついに勉強できないまま、僕は銀行を去ったのであった。

お終い。

※注:幾分話を盛っていますが、ご了承ください。

『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。?その2?

『半沢直樹』にあやかったおかげでブログの閲覧数が大幅にアップしたので、今日も過去のバンカー時代の話をしよう。

バブル崩壊直前の1991年に高卒ルーキーで入行した我々の同期は実に70人近くに上った。

研修では、当時30代前半と思しき総務部の男性職員が、『近い将来、我が組合もニューヨークへ支店を出す日がくるだろう。諸君もその時に備えて英語を習得するように!』と真剣な顔で話していた。

その表情からは微塵も冗談を言っている様子は伺えない。

泊りの研修は当時組合が保有していた高級リゾート施設で実施されるなど、経済しかり社会がなんたるやも分かっていない小僧にとっては夢のような未来を想像させた。

入行した後もそれは続き、ボーナスは年に4回(うち2回は決算手当。)支給され、社員旅行も青年部のものを含めると年3回に及んだ。

しかしそんな状況も長くは続かなかった。

ボーナスは通常の年2回になり、入行1年目に行ったスキー旅行では最上階に温泉のある豪華なホテルに泊まったのだが、2年目には場末の民宿へと激変したのだ。

そのうち右肩上がりだった預貸金が減少に転じ、バブル崩壊とともに組合の体力は確実に失われていった。

それから10年以上の月日を沈みゆく“難破船”に乗って過ごした僕だったが、その後2度の経営破たんを経験したことで『とてもじゃないけど顧客とフェアな立場で対話する精神状態』になれず、また仕事に対するモチベーションも完全に劣化してしまったことで退職を決意したのである。

退職後、尊敬していた司法書士の先生に言われたことがる。

『君は組合で2回もの組織の破たんを経験したのだからその経験を無駄にしてはダメだ!まず最初に破たんに至った経緯を詳細に調べて記録を残すべきだ。それを君がやれ!』

その当時はあまりピンとこなかったその言葉だが、今となって思うのは、その司法書士の先生の言う通り『失敗の原因を精査して記録にとどめて、必要に応じて責任を追及すること。』

これが組織の再出発と人間自身の再出発においてとても重要なのではないかということ。

果たしてそれは実現されたのだろうか。

辞めてから既に10年近い歳月が経つが、『半沢直樹』を見てそんなことも頭をよぎったのであった。

お終い。

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