憤慨一覧
役所の決まり文句「前例がない」など、市民にとってはどうでもいい話。
役所に行くと度々耳にする「今まで前例がありませんので」とか「初めてのケースなので、、、」という言い訳じみた保守的な対応にうんざりしています。
前例がなければ開拓すればいいし、初めてのケースには経験に基づいた適正な判断をすればよいと感じます。
今日も役所で死亡した方の届出書類を交付請求したところ、死亡したことを確認する書類を求められました。
まさかと思い、「そちらの役所に本籍地がありそこに死亡した旨記載がありますけど。」という僕に、例の決まり文句。
烈火のごとく怒りに任せて、「市民の使いやすいように日々工夫して業務をしてください。今までのやり方がおかしいのだから速やかに改善してください。」と僕。
これもお決まりで「協議しますのでしばらくお待ちください」、そして「今回だけ特別に措置を取らせていただきます。」
納得できない僕は、「イヤイヤ、今日以降即時改善することを求めます!」
森友・加計では散々前例を踏み倒してきた役人に、そんな言い訳は決してさせないようにしましょう。
日本生まれのタイ国籍の少年の在留を認めなかった日本の裁判所の判断について思うこと。
- 2016.12.08(木)
- VISA・在留資格関連 , 入国管理局情報 , 判例情報 , 在留特別許可 , 憤慨
昨日、中米出身の非正規在留の男性と話す機会があり、日本の裁判所で16歳のタイ国籍の少年が「国外に退去せよ」との判決をもらったことについて話をした。
少年は日本で生まれて日本語しか話せず、生まれてから一度も日本を出たことがないと言う。
「日本でこのような判決について世論が騒ぐことはあまりなく、むしろ、この判決について肯定的な意見の方も多数いる」と語る僕の言葉を、その男性は放心状態で聞いていた。
「ジーザス、日本のことをもっともっと良い国だといろんな人に伝えたいが、それは難しい!」
そう語るその男性の驚きと落胆の表情が忘れられない。
誰のために辞め、止め、辞めさせ、止めさせるのか?『大人』の事情と『世間』という厄介な存在について。
- 2016.10.17(月)
- ただいま休憩中・・・ , 憤慨
ヤフーニュースによると、とある写真コンテストで受賞した作品に自ら命を絶った人物が写っていたとのことで、主催者側が賞を取り消し(正確には撮影者に辞退させた)たとのこと。
この記事を読んで、賞を取り消した理由は当然「被写体となった人物の遺族からの抗議」と想像したが、遺族は受賞を喜んでいて主催者側の事情でそのようにしたとのこと。
「(取り消しの理由は)面倒に巻き込まれたくないと言っているように聞こえる」とは、被写体となった方の父親の言葉。
これに似た出来事は僕の周りにも存在し、とにかく目に見えない”空気”や”世間体”を気にするあまり、当事者の意思を踏みにじる<頭の痛い大人>が本当に多いと感じる今日この頃。
しばらくサッボてしまっていた『朝鮮学校関連裁判』への傍聴に行こうと決意した件。
- 2016.10.07(金)
- 憤慨
後輩の弁護士たちが手弁当で奔走している裁判がある。
それが朝鮮学校関連裁判(高校無償化・大阪市補助金不支給)だ。
今年の前半期まではほぼ皆勤賞で傍聴に行っていた。(なかなかの確率で抽選に漏れていたが、、、それでも某組織の活動家が傍聴券を譲ってくれるのでとてもありがたい。ちなみに皆勤賞で傍聴に来ている僕の方こそ某組織の活動家と見られていた可能性も。)
それが、今年下半期にあたる7月以降、なかなか行けていない。
つい最近、その裁判に関わっている後輩弁護士と話す機会があり、「次回は絶対に来るべきですよ!」と鋭い目つきで勧められた。
ムムッ、これは何としても行かなければならない!(極めて単純な性格の僕なのです。)
仕事やら自分の子どものことやら何かといろいろ忙しい『学父母』でしょうけれども、是非、10月14日、大阪地方裁判所へ、GO!でよ。
闘病中の小林麻央さんがブログでつづった心の叫びについて。(癌を根治させて長生きしたいとの強い想い。)
- 2016.10.03(月)
- ただいま休憩中・・・ , 憤慨
アナウンサーの小林麻央さんの闘病について最近よくネット等メディアで目にします。
本当に見るからに人の良さそうな方だと海老蔵との結婚前から好印象を持っていました。
(今年69で死んだ僕の母といい、病気は本当に人を選ばないんだなと、つくづく思い知らせられる。)
彼女のブログを直接読むことはしないが、今日もその内容が取り上げられていて、『やっと自分の切実な思いを口に出して言える医者に出会った』ような口ぶり。
正直、僕も母の治療や闘病生活について何度か医者と話す機会があったが、こちらの要望について真摯に受け止め患者の希望に沿う治療法・生活対応について検討すらしない医者ばかりだったのが残念でしょうがなかった。(意外と主治医以外の周りのお医者さんの方がいろいろと真剣に考えてくれていたと感じた。)
それはまるで、意を決して訪ねてきた悩み多き相談者へベテラン弁護士が話半分に結論について話し始める姿にあまりによく似ていた。
僕の事務所にもどうにもならない状況の悩み多き相談者(ほとんどが韓国人ニューカマー)が多数訪れるが、『少しでも希望があるのならばそれに掛けてみたい』と願う姿勢と覚悟を見つけたら、その意に叶うべく依頼を受けることにしている。(もちろん100%ダメな場合は受けないが。それをすると詐欺罪となりますので。)
そしてその際によく依頼者から可能性は何パーセントかと聞かれるが、『許可されるか不許可しか選択肢はないので50%です。』と答えるようにしている。
一見無責任に思われるかもしれないが、僕の中ではそれが答えであり、事実、いかなる申請行為(許可・不許可を求める場合)についても自身が取り下げる場合を除いては結果は許可か不許可しかない。すなわちフィフティーフィフティーなのである。
母は出会うことができなかったが、日本には患者を<一患者>としてではなく沢山の家族や友人・知人を身にまとった<一人間>として扱っていただけるお医者さんが沢山いらっしゃると信じたい。