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一度却下食らった韓国家族関係登録整理申請を再チャレンジで解決した件。~その3~
- 2016.04.15(金)
- 国籍・家族関係登録(戸籍)
~その2からの続き~
韓国の裁判官に対し相当な違和感を持った私は、それでもその判断について即座に異議を唱えることをしなかった。
それから約半年たってから、その事件のことがずっと頭の片隅にのこっていた私は、もう一度事件について精査してみた。
①日本での結婚、出産、離婚の届出の際、各当事者(本人、元夫、子ども)は全て朝鮮籍だった。
②更に、各当事者は韓国に家族関係登録(戸籍)がなかった。
③前に似たような事件を扱ったが、その時は2004年9月20日以降の日本での協議離婚も韓国で整理手続が可能であった。
④元夫に至っては現在も朝鮮籍のままで韓国に家族関係登録がない。(ちなみに依頼者(妻)と子どもは韓国籍に変えており家族関係登録も済ませた状態。)
韓国の裁判官の言うように、
「韓国法の方式によらなければならない」となると、
A 先ず、元夫の国籍を韓国に変えたうえで
B 元夫の家族関係登録(戸籍整理)をしなければならなくなくなり
C 最後には、夫婦が<互いに手を取り>領事館へ出頭して、
①離婚意思確認申請をして
②裁判所による確認を待つ
ことを要するのだ。
『離婚した夫婦の一方(妻)にこれを求めるのですか?』
こんな能書きを並べて前とは違う韓国の役所(在外国民家族関係登録事務所)へお願いしたところ、
無事に戸籍整理が完了したのでした。
お終い。
<複雑な戸籍整理(韓国家族関係登録整理)は、そん法務事務所まで!>
一度却下食らった韓国家族関係登録整理申請を再チャレンジで解決した件。~その2~
- 2016.04.14(木)
- 国籍・家族関係登録(戸籍)
~その1からの続き~
その理由は、
「2004年9月20日からは、在日韓国人も、日本の方式(離婚届にサインして終い!)では離婚できず、韓国法の方式によらなければならないことになった」から。
すなわち、夫婦が<互いに手を取り>領事館へ出頭して、
①離婚意思確認申請をして
②裁判所による確認を待つ
こととしたのです。
韓ドラでよく見る、裁判所の前で妻(若しくは夫)がイライラしながら一方を待つ場面がまさにそれ。
(ちなみに領事館へ行くと妙によそよそしい二人組(男女)を度々見かけるが、たぶんその人たちも①の手続で仕方なく、、、)
話を元に戻しますが、
離婚時に朝鮮籍であった夫婦へこれを求める韓国の裁判官に対し、相当な違和感を持った私であったのであった。
次回(たぶん明日)へ続く。
一度却下食らった韓国家族関係登録整理申請を再チャレンジで解決した件。~その1~
- 2016.04.12(火)
- 国籍・家族関係登録(戸籍) , 戸籍・住民登録
在日コリアンの家族関係登録関係の仕事が多いが、以前引き受けた事件で、
朝鮮籍の女性からの依頼で、
①本人の出生、
②本人の結婚、
③子ども3人の出生、
そして、
④本人の離婚
についての整理手続を引き受けた。
その女性(当時の夫も)は朝鮮籍だったので日本の役所で上記①~④の受理証明書の入手は容易に可能だった。
当然、韓国での整理手続きはできてしかり。
と思いきや、僕がこの処理を依頼した韓国の役所(正確には韓国の役所が問い合わせた韓国の裁判官)は④の処理を拒否った。
しかも文書まで送ってきて拒否ったのだ。
その理由は、、、、
次回(たぶん明日)へ続く。
年金事務所に物申す!
つい最近、亡くなった母の未支給年金の受け取り手続で年金事務所とやり取りをした。
以前、年金事務所での相続絡みの相談があって、「亡き父との親子関係の証明書類として韓国の家族関係証明書を出せと言われた」と言っていた在日コリアン(特別永住者)の言葉を思い出し、日本の役所から取り寄せた『出生届記載事項証明書』を提出した。
すると案の定、「お母様との親子関係の証明書類として韓国の家族関係証明書を提出してください」と言うではないか。
僕は次の『事実』を年金事務所の職員に伝えて、後日了解を得た。
①在日コリアン(特別永住者)である私は日本で生まれ育った
②在日コリアン(特別永住者)はその必要性の無さから本国に身分登録を持たない者が多い
③日本で一番の在日コリアン(特別永住者)密集地域にある今里年金事務所の職員たるもの、上記事実を知らないとは言わせない
④それを承知で韓国の家族関係証明書を一律に要求するのはナンセンスで配慮のかけらもない
⑤『出生届記載事項証明書』は日本の役所が交付した公の証明書類と理解する
聞いてくださった職員の方には大変「耳の痛い意見」であっただろうが、これを機会に在日コリアン(特別永住者)を含めた<すべての市民に優しい年金窓口>となることを期待したい。
(それにしても、最近の僕の口調は職業病なのか言葉に優しさがまったくなくなっていくようで怖い。)
母の通夜に参列していた場違いなほど沢山の若者の姿を見て思うこと。
- 2016.04.08(金)
- ただいま休憩中・・・
つい先日、69歳でこの世を去った母の通夜には、どこから来たのか誰の知り合いなのかわからない20代前半と思しき若者がたくさん居た。
後でわかったことだが、その若者たちは、生前母が働いていた大手遊技店の社員やバイト、元職員達だったのだ。
母は生前、仕事先での若者たちとの触れ合いをとても楽しんでいる様子だった。それが生きがいとも言っていた。
それにしても、たかが「パートのおばちゃん」の通夜にこんなに多くの仕事先の同僚や元同僚が詰めかけるだろうか?(30~40人は来ていた。)
驚いたことに、その方たちの中には会社の経営陣(会長、社長、専務など)まで居たのだ。
しかし、通夜が始まったとたん、僕はその理由を理解した。
みんな、母の遺影を前に泣いていたのだ。それも大泣きだ。
仕事先での触れ合いを楽しんでいたのは母だけではなかったのだ。
彼らもまた母と話すこと、母に悩み事を打ち明けて聞いてもらうことを楽しみにしていたのだ。
いつも誰にでも分け隔てなく、人と真剣に向き合い、時には自宅に呼んで食事を振る舞っていた母の生き様を見せつけられた瞬間だった。
尊敬する母にどこまで近づけるかわからないが、母が最後に見せた大きな背中を、僕は死ぬまで追い続けたい。







