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正義感あふれる若者の行動に感動したこと。

先日地下鉄に乗っていた時の出来事。

堺筋本町の駅に到着した電車が出発のアナウンスを終えた後もしばらくドアを閉じずにいた。

その数秒後、最後尾の車両に座っていた僕の耳に幼児のかすかな悲鳴が聞こえてきた。

とても嫌な予感がしたので何があったのかと車外へ飛び出そうとすると、ドタドタと人の走る足音が近づいてきた。

血相を変えた若い男性が僕が乗っていた最後尾の車両の運転手に向かって、「子どもが手を挟んだ!(正確にはドアに手を引き込まれたようだ)」と叫んでいた。

興奮しながら運転手に「ドアを慎重に閉めるようにしてください!」と伝えた若者は、今度は自分のいた車両(ちょうど真ん中あたり)にいったん戻り、また走って子どものいる先頭車両の方へ向かった。

幸い大事には至らず数分後に電車は発車したが、どう見ても自分の子どもに起こった事故ではないにも関わらず、機敏にそして一生懸命に走り回る若者の姿に感動させられた。

手をドアに引き込まれた子どもはさぞ痛かったと思うが、他人のことに一生懸命になる青年の姿に何だか気持ちが爽快になった。

他人に無関心なこの世の中で珍しく良い出来事に出くわした体験でした。

『やられたらやり返す!』ではもう遅いのではと思うこと。

またもストーカーの犯行と思われる痛ましい事件が起こった。

報道で毎日のように取りざたされている女子高生殺人事件だが、犯人は21歳の青年で事件によって自らの人生までをも棒に振ってしまったと言っていいだろう。

仕事柄、夫婦間のトラブルについての相談を受けることも多いが、その多くが妻に三下り半を突き付けられた『男たち』による嫌がらせ行為への対処の仕方だ。

実に未練がましく、暴力的で、利己的な行動をとる男たち。

配偶者や恋人に別れを告げられた時、それまでの『愛情』がどんな経緯で『憎しみ』や『殺意』に変わるのだろうか?

同じ男として想像はしてみるもののまったくピンとこない。

現在マスコミは警察批判に矛先を向けているようだが、警察とていずれ『殺人者』となる人間を見分けることなど不可能であるし、24時間体制で一個人を警護することなどできないのではないかと思う。

マスコミや周囲が何と言おうと被害者の無念と親族の絶望は癒えることは無いだろう。

桶川で起こった事件以降、いったい何人の女性が命を落としたことか。

このような事件が起きるたびに『やられる前にやる!』以外、我が子を護ることは不可能なのではないかと思ってしまう。

『やられたらやり返す!』ではもう手遅れなのではと思うのであった。

(あくまでも想像の話ですが。)

『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。?その3?

『半沢直樹』のような勇ましい働きぶりはとてもじゃないけどできなかったサラリーマン時代。

それに根っからの無愛想さとふてぶてしさを兼ね備え、またそれを欠点とも気づかないままスクスク育ってしまったことにより、上司からは随分嫌われていたと思う。

お世辞の一つも言えない人間が、よくも14年間サラリーマンとして勤められたと不思議にすら思う。

逆にいうとそんな人間を長期間雇っていただいたことに感謝もしている。

そんな象徴のようなこともあった。

僕が配属された支店の後輩がある融資案件を稟議に上げたところ、上司に否決された。

キャンペーン中である融資商品を売ろうと必死に掛け合って取ってきた融資案件を否決されたその後輩は意気消沈して落ち込んでいた。

そんなとき、ある役員からのトップダウンの融資案件がスルーパスを通すがのごとく決済されたのだ。(ごくごく当たり前のことだが。)

問題は、その融資案件の内容と後輩が上司に否決された融資案件が酷似していたこと。

キャンペーン総括の席上、僕はすかさずそれを指摘した。

融資の内容ではなく持ってきた『人』によって判断が変わるのか!、それを問題にしたのだ。

一人エキサイトしている僕の周りで、他の職員はただ俯くばかり。

中には僕の行動を見て薄笑いを浮かべる上司様も。

『当たらず障らず目立たなく。上司の機嫌は損なわず。』

銀行員としての基本姿勢をついに勉強できないまま、僕は銀行を去ったのであった。

お終い。

※注:幾分話を盛っていますが、ご了承ください。

『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。?その2?

『半沢直樹』にあやかったおかげでブログの閲覧数が大幅にアップしたので、今日も過去のバンカー時代の話をしよう。

バブル崩壊直前の1991年に高卒ルーキーで入行した我々の同期は実に70人近くに上った。

研修では、当時30代前半と思しき総務部の男性職員が、『近い将来、我が組合もニューヨークへ支店を出す日がくるだろう。諸君もその時に備えて英語を習得するように!』と真剣な顔で話していた。

その表情からは微塵も冗談を言っている様子は伺えない。

泊りの研修は当時組合が保有していた高級リゾート施設で実施されるなど、経済しかり社会がなんたるやも分かっていない小僧にとっては夢のような未来を想像させた。

入行した後もそれは続き、ボーナスは年に4回(うち2回は決算手当。)支給され、社員旅行も青年部のものを含めると年3回に及んだ。

しかしそんな状況も長くは続かなかった。

ボーナスは通常の年2回になり、入行1年目に行ったスキー旅行では最上階に温泉のある豪華なホテルに泊まったのだが、2年目には場末の民宿へと激変したのだ。

そのうち右肩上がりだった預貸金が減少に転じ、バブル崩壊とともに組合の体力は確実に失われていった。

それから10年以上の月日を沈みゆく“難破船”に乗って過ごした僕だったが、その後2度の経営破たんを経験したことで『とてもじゃないけど顧客とフェアな立場で対話する精神状態』になれず、また仕事に対するモチベーションも完全に劣化してしまったことで退職を決意したのである。

退職後、尊敬していた司法書士の先生に言われたことがる。

『君は組合で2回もの組織の破たんを経験したのだからその経験を無駄にしてはダメだ!まず最初に破たんに至った経緯を詳細に調べて記録を残すべきだ。それを君がやれ!』

その当時はあまりピンとこなかったその言葉だが、今となって思うのは、その司法書士の先生の言う通り『失敗の原因を精査して記録にとどめて、必要に応じて責任を追及すること。』

これが組織の再出発と人間自身の再出発においてとても重要なのではないかということ。

果たしてそれは実現されたのだろうか。

辞めてから既に10年近い歳月が経つが、『半沢直樹』を見てそんなことも頭をよぎったのであった。

お終い。

『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。

ドラマのような立派な銀行ではなかったが、サラリーマン時代、僕もバンカーとして少しは活躍していた時期がある。

その当時、こんな出来事があった。

半沢直樹ではないが、当時とにかく顧客だけのために一生懸命だった僕は、自営業を営む世帯を担当していたがそこの奥様から住宅ローンの申し込みを受けた。

決して条件の良くない当時の勤め先(信用組合)であったが、長い取引実績と担当者の僕を信頼して融資の申し込みをされたのだ。

商売も順調で子どものための預金も月々計画的にされていた信頼できるお客様だと判断して、融資の審査へ稟議をあげた。

しかし、当時の上司は開口一番『なんでこの人お金無いんや!』と言うのだ。

確かに繁盛している商売に比較すると頭金として用意できる資金は少なかったかも知れない。

ただ、商売を初めてまだ3年とたたない状態であったし、育ち盛りの3人の子がいたことから月々の出費も相当な額であり、ゆとりをもって住宅資金を蓄えるまでに至らなかったのだ。

住宅購入の理由も、当時入居されていた賃貸住宅の家賃よりも長期返済により住宅ローンを組むことの方がはるかに負担が軽くなることを考えての申し込みであった。

それを考慮しての申し込みであったにも関わらず、現況の資産の無さをことさら指摘する上司に無性に腹が立った。

気が付くと支店長を交えて応接間に呼ばれていた。

怒りに任せて上司に何と言って噛みついたのか全く覚えていないが、その上司は相当ご立腹の様子。

支店長に説教をされつつ思い出したのは、その上司は比較的裕福な家庭に育ったということ。(一方の僕は万年借家暮らしの貧困家庭。)

『もしかしてお金に対する尺度が僕とその上司とでは相当に違っているのではないか。』

そんなことも、当時高卒で社会経験も少ない僕には考えつかなかったのだ。

(今となっては話の持って行きようで何とか融資できたのではないかと思う。)

育った家庭の経済環境の違いによって大人になってからも“お金”に関する価値観が違って当然だ。

法曹界においてもロースクールの学費や司法修習生に対する貸与制の導入等により経済的負担が増大する一方だと聞く。

お金持ち出身者だけが法律を司る社会になってしまうのではと、過去を振り返りつつ資本主義社会日本の行く末が心配になる。

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