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ブログ記事一覧

闘病中の小林麻央さんがブログでつづった心の叫びについて。(癌を根治させて長生きしたいとの強い想い。)

アナウンサーの小林麻央さんの闘病について最近よくネット等メディアで目にします。

本当に見るからに人の良さそうな方だと海老蔵との結婚前から好印象を持っていました。
(今年69で死んだ僕の母といい、病気は本当に人を選ばないんだなと、つくづく思い知らせられる。)

彼女のブログを直接読むことはしないが、今日もその内容が取り上げられていて、『やっと自分の切実な思いを口に出して言える医者に出会った』ような口ぶり。

正直、僕も母の治療や闘病生活について何度か医者と話す機会があったが、こちらの要望について真摯に受け止め患者の希望に沿う治療法・生活対応について検討すらしない医者ばかりだったのが残念でしょうがなかった。(意外と主治医以外の周りのお医者さんの方がいろいろと真剣に考えてくれていたと感じた。)
それはまるで、意を決して訪ねてきた悩み多き相談者へベテラン弁護士が話半分に結論について話し始める姿にあまりによく似ていた。

僕の事務所にもどうにもならない状況の悩み多き相談者(ほとんどが韓国人ニューカマー)が多数訪れるが、『少しでも希望があるのならばそれに掛けてみたい』と願う姿勢と覚悟を見つけたら、その意に叶うべく依頼を受けることにしている。(もちろん100%ダメな場合は受けないが。それをすると詐欺罪となりますので。)
そしてその際によく依頼者から可能性は何パーセントかと聞かれるが、『許可されるか不許可しか選択肢はないので50%です。』と答えるようにしている。

一見無責任に思われるかもしれないが、僕の中ではそれが答えであり、事実、いかなる申請行為(許可・不許可を求める場合)についても自身が取り下げる場合を除いては結果は許可か不許可しかない。すなわちフィフティーフィフティーなのである。

母は出会うことができなかったが、日本には患者を<一患者>としてではなく沢山の家族や友人・知人を身にまとった<一人間>として扱っていただけるお医者さんが沢山いらっしゃると信じたい。

僕ら在日コリアンが、自分の姓(苗字)や本貫、故郷(本籍地)について過度にこだわりを持つ必要など無いのだと日々感じる件。

  • 2016.10.01(土)

最近は本当に相続についての相談が多く、特に在日コリアンの複雑な話が多数である。

何が複雑かと言うと、それまで普通に暮らしていたおじいさん(又はおばあさん)が自分の死(若しくは配偶者の死)を間近にして急に自分は別人だと言い出すこと。

どういうことかと言うと、戦後の混乱期に何らかのきっかけで別人の振りをして外国人登録を行い、その後本当の自分を名乗り出る機会を逸したまま長い歳月が経過してしまっているといったケース。

中には本当の自分が韓国の戸籍上で既に死んでしまっているケースもあり、最早救済の方法が見つからないことも。

そうして考えると、僕の祖父母ももしかしたら<孫〇〇>、<朴〇〇>では無かったのかも知れず、<密山孫氏>が僕の本貫だが、まったく別の<金さん>や<李さん>だったのかも知れない。

国籍含め、姓(苗字)や本貫、行ったこともない書面上の故郷(本籍地)に過度にこだわるのではなく、日々の暮らしにおける人との繋がりや居住する街にこそ本来の故郷(コヒャン)があるのではと感じるのだ。

済州道(チェジュド)を故郷に持つ在日コリアンとの結婚を未だに渋る理解不能な「在日コリアン」が居ると聞くが、そんな人には是非このブログと手塚治虫作『アドルフに告ぐ』を読むことを勧めて欲しい。

ランニング再開。大阪マラソンには出られませんが11月のハーフマラソンへ向けての始動。

さすがにこの夏場の暑さは異常事態で、しばらく走ることを辞めていました。

ただ、<継続は力>の言葉を信じて走ることを辞めないために11月にハーフマラソンへエントリーしている。

少しでもタイムを縮めようとトレーニングを再開。

思いのほか快調に走ることができたのは、真夏にトレイルランを走ったおかげで精神的に鍛えられたからかもと自己分析。

走っていて感じたのは、ランニング中、自分自身の日頃の行いについて色々と振り返る時間になっていることを再認識したこと。

皆によくマラソンの魅力を聞かれても答えられないが、答えは案外自分自身の心の中にあるように思えてきた。

よって他人には簡単に理解しがたいところにマラソンの醍醐味があるように思う。

大学受験に望む姪っ子にエールを。ただ学費を聞いて無責任に「頑張れよ!」と言えないなと思った件。

姪がこの春の高校卒業を控えて大学進学のことで悩んでいる様子。

進学や将来のことで気の利いた大人のアドバイスができればいいのだが、いかんせん僕自身が高卒なもんで発言に説得力がない。

大学を勉強する場ととらえず、沢山の友人を作る”自分の将来の肥やしとなる場”と考えてはどうか?などそれらしいことを言ってはみたが、、、

それよりも大学の4年間にかかる学費含めた諸経費の額を聞いてビックリ。

思わず「進学せんと働き!」と口から出そうになる言葉を必死でこらえた。

そんな大金に見合う見返りが大学生活にあるのだろうか誠に疑問だが、右に倣えで高校卒業⇒進学が定着している。

やはり、いかにして幼少期に現実的な夢を見つけさせてあげられるかが、親のできる一番の子孝行なのではないかと改めて考えさせられたのである。

お終い。

遺言の必要性について。法が定めた最後にできる意思表示。これを活用しない手はないと思うのだが、、、(エピソード編)

過去に取組んだ事例で、①韓国法による相続であり、②被相続人(亡くなった方)は独身で婚姻歴は無く、子ども産んでいない。(この時点で嫌な予感がした!)
まさかとは思ったがこの方、③兄弟姉妹もいない。(妹が居たがすでに他界しており、妹も婚姻・出産ともに無し)
勿論、年齢的にも④父母はすでに他界している。

日本法の場合、この時点で「相続人がいない」となり利害関係人若しくは国が遺産を持っていくことも。
だが、このケースは被相続人が韓国籍であるため「4親等以内の傍系血族」となる。
【3親等⇒おじ・おば・甥姪、4親等⇒いとこ、祖父母の兄弟姉妹等】

当人の親族関係を紐解くべく韓国戸籍(家族関係登録簿と除籍簿)をたどると、その数(4親等以内の傍系血族)は30人は下らない。
その30人はほぼ全員が韓国に住んでいてもちろん連絡先や居場所は知れない。

まともに取り合えば間違いなく『塩漬け』となるケースだったが、後日、依頼者から遺言書が見つかったとの連絡がありことなきを得たのだ。
遺言書には、被相続人の内縁の夫の子である<依頼者>へ全ての財産を相続する旨の文言があり、日本の家庭裁判所での検認手続等を経て全て遺言通りに財産相続を終えたのだ。

このケースでもしも遺言書が出てこなかったなら、預貯金や不動産はどの相続人の手にも渡らなかったことだろう。

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