- HOME
- ブログ
2013年記事一覧
『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。?その3?
- 2013.09.28(土)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
『半沢直樹』のような勇ましい働きぶりはとてもじゃないけどできなかったサラリーマン時代。
それに根っからの無愛想さとふてぶてしさを兼ね備え、またそれを欠点とも気づかないままスクスク育ってしまったことにより、上司からは随分嫌われていたと思う。
お世辞の一つも言えない人間が、よくも14年間サラリーマンとして勤められたと不思議にすら思う。
逆にいうとそんな人間を長期間雇っていただいたことに感謝もしている。
そんな象徴のようなこともあった。
僕が配属された支店の後輩がある融資案件を稟議に上げたところ、上司に否決された。
キャンペーン中である融資商品を売ろうと必死に掛け合って取ってきた融資案件を否決されたその後輩は意気消沈して落ち込んでいた。
そんなとき、ある役員からのトップダウンの融資案件がスルーパスを通すがのごとく決済されたのだ。(ごくごく当たり前のことだが。)
問題は、その融資案件の内容と後輩が上司に否決された融資案件が酷似していたこと。
キャンペーン総括の席上、僕はすかさずそれを指摘した。
融資の内容ではなく持ってきた『人』によって判断が変わるのか!、それを問題にしたのだ。
一人エキサイトしている僕の周りで、他の職員はただ俯くばかり。
中には僕の行動を見て薄笑いを浮かべる上司様も。
『当たらず障らず目立たなく。上司の機嫌は損なわず。』
銀行員としての基本姿勢をついに勉強できないまま、僕は銀行を去ったのであった。
お終い。
※注:幾分話を盛っていますが、ご了承ください。
『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。?その2?
- 2013.09.27(金)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
『半沢直樹』にあやかったおかげでブログの閲覧数が大幅にアップしたので、今日も過去のバンカー時代の話をしよう。
バブル崩壊直前の1991年に高卒ルーキーで入行した我々の同期は実に70人近くに上った。
研修では、当時30代前半と思しき総務部の男性職員が、『近い将来、我が組合もニューヨークへ支店を出す日がくるだろう。諸君もその時に備えて英語を習得するように!』と真剣な顔で話していた。
その表情からは微塵も冗談を言っている様子は伺えない。
泊りの研修は当時組合が保有していた高級リゾート施設で実施されるなど、経済しかり社会がなんたるやも分かっていない小僧にとっては夢のような未来を想像させた。
入行した後もそれは続き、ボーナスは年に4回(うち2回は決算手当。)支給され、社員旅行も青年部のものを含めると年3回に及んだ。
しかしそんな状況も長くは続かなかった。
ボーナスは通常の年2回になり、入行1年目に行ったスキー旅行では最上階に温泉のある豪華なホテルに泊まったのだが、2年目には場末の民宿へと激変したのだ。
そのうち右肩上がりだった預貸金が減少に転じ、バブル崩壊とともに組合の体力は確実に失われていった。
それから10年以上の月日を沈みゆく“難破船”に乗って過ごした僕だったが、その後2度の経営破たんを経験したことで『とてもじゃないけど顧客とフェアな立場で対話する精神状態』になれず、また仕事に対するモチベーションも完全に劣化してしまったことで退職を決意したのである。
退職後、尊敬していた司法書士の先生に言われたことがる。
『君は組合で2回もの組織の破たんを経験したのだからその経験を無駄にしてはダメだ!まず最初に破たんに至った経緯を詳細に調べて記録を残すべきだ。それを君がやれ!』
その当時はあまりピンとこなかったその言葉だが、今となって思うのは、その司法書士の先生の言う通り『失敗の原因を精査して記録にとどめて、必要に応じて責任を追及すること。』
これが組織の再出発と人間自身の再出発においてとても重要なのではないかということ。
果たしてそれは実現されたのだろうか。
辞めてから既に10年近い歳月が経つが、『半沢直樹』を見てそんなことも頭をよぎったのであった。
お終い。
『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。
- 2013.09.25(水)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
ドラマのような立派な銀行ではなかったが、サラリーマン時代、僕もバンカーとして少しは活躍していた時期がある。
その当時、こんな出来事があった。
半沢直樹ではないが、当時とにかく顧客だけのために一生懸命だった僕は、自営業を営む世帯を担当していたがそこの奥様から住宅ローンの申し込みを受けた。
決して条件の良くない当時の勤め先(信用組合)であったが、長い取引実績と担当者の僕を信頼して融資の申し込みをされたのだ。
商売も順調で子どものための預金も月々計画的にされていた信頼できるお客様だと判断して、融資の審査へ稟議をあげた。
しかし、当時の上司は開口一番『なんでこの人お金無いんや!』と言うのだ。
確かに繁盛している商売に比較すると頭金として用意できる資金は少なかったかも知れない。
ただ、商売を初めてまだ3年とたたない状態であったし、育ち盛りの3人の子がいたことから月々の出費も相当な額であり、ゆとりをもって住宅資金を蓄えるまでに至らなかったのだ。
住宅購入の理由も、当時入居されていた賃貸住宅の家賃よりも長期返済により住宅ローンを組むことの方がはるかに負担が軽くなることを考えての申し込みであった。
それを考慮しての申し込みであったにも関わらず、現況の資産の無さをことさら指摘する上司に無性に腹が立った。
気が付くと支店長を交えて応接間に呼ばれていた。
怒りに任せて上司に何と言って噛みついたのか全く覚えていないが、その上司は相当ご立腹の様子。
支店長に説教をされつつ思い出したのは、その上司は比較的裕福な家庭に育ったということ。(一方の僕は万年借家暮らしの貧困家庭。)
『もしかしてお金に対する尺度が僕とその上司とでは相当に違っているのではないか。』
そんなことも、当時高卒で社会経験も少ない僕には考えつかなかったのだ。
(今となっては話の持って行きようで何とか融資できたのではないかと思う。)
育った家庭の経済環境の違いによって大人になってからも“お金”に関する価値観が違って当然だ。
法曹界においてもロースクールの学費や司法修習生に対する貸与制の導入等により経済的負担が増大する一方だと聞く。
お金持ち出身者だけが法律を司る社会になってしまうのではと、過去を振り返りつつ資本主義社会日本の行く末が心配になる。
『ルポ虐待 -大阪二児置き去り死事件-』を読みました。
- 2013.09.19(木)
- ただいま休憩中・・・ , 日本語
『鎮魂 さらば、愛しの山口組』を買おうと書店へ行くと、『ルポ虐待』の新書が目に入った。
副題にある『大阪二児置き去り死事件』の文字を見て、あの痛ましい事件について書かれたノンフィクションだと気付いた。
あまり思い出したくない事件でもあり、堀江にある事件のあったマンションを通る度にイヤでも思い出してしまう忘れることのできない事件でもあった。
買うか買うまいか迷ったが、勇気を出して買うことにした。
内容は、事件の加害者であり亡くなった二児の母でもある女性の生い立ちから今に至るまでを本人や関係者への緻密な取材に基づいて詳細に書かれていた。
最初の部分は本当に残酷で心の痛い内容だった。読むのを辞めようと思うほど。
しかし、次第に事件に至った具体的な概要が明らかにされていく。
途中、筆者に共感する部分もあり、また懲役30年の判決に関わった当時の裁判員たちに共感する部分もあり、自分の中で葛藤しつつ何とか最後まで読みきった。
正直とても疲れた。(梁石日著『闇の子供たち』を読んで以来の読後の疲れだった。)
でも、最後まで読んで良かったと思ったし、いろいろ学ぶことが多かった作品だ。
悲しいことだが、本作品で取り上げられた女性のように子供を死なせて自分が生き残る人間がいるのは現実社会で起こっている事実だ。
『カシコギ』(趙昌仁著、韓国書籍)に出てくる主人公タウムの父のように自分の命と引き換えに子供を生かす人間はフィクションの中の話でしかないのかと、世の中を悲観してしまう。
外国人登録が廃止されたことを知らない方がまだまだ沢山いることについて。
- 2013.09.13(金)
- 国籍・家族関係登録(戸籍) , 戸籍・住民登録 , 日本語
在日コリアンのお仕事を手伝う場面が特に最近増えています。
年代的にもちょうど1世の方が亡くなられたり、または既に亡くなられた故人の名義になったままの不動産の名義を変更する際に相談に来られる方も多くいます。
依頼内容は様々で、遺産分割に関するものから帰化申請に必要とされる韓国戸籍(家族管理登録)についてのもの、または離婚や相続放棄に至るまで本当にいろんな悩みを抱えている方が多くいます。
そんな時いつも思うことなのですが、在日コリアンの身分関係を証明することが外国人登録廃止以降増す一方であり、そもそも在日コリアンの日本での身分登録(主に旧外国人登録)と本国での身分登録の乖離があまりにも多く存在していること。
後者の例を挙げると、日本でご健在である8人兄弟姉妹が韓国の戸籍上は全て亡くなったことになっていました。それも同じ日に死んだことに。
これには謄本を見た時鳥肌が立ちましたが、そんなことが大袈裟じゃなく本当に多いのです。
これを紐解いて真実の身分関係に戻してあげたり、相違している氏名(韓国では姓名)を日本のものに直してあげるお手伝いをしています。
日本での身分証明として、昨年7月9日以降は主に住民票を書面として利用することになりましたが、住民票では親族関係を疎明するには限界があります。
今更ですが、旧外国人登録が如何に在日コリアンの身分の疎明資料として良くも悪くも役立っていたかを思い知らされます。
現在、我々在日コリアン、すなわち特別永住者も外国人として本国の身分関係疎明資料を求められる場面が増えています。
韓国籍の特別永住者の方には、本国の旅券の所持とそれに必要となる韓国家族関係登録簿への正当な登録を自身が存命中に為されることをお勧めします。
朝鮮籍の方についても、朝鮮の国での身分登録や旅券の所持が日本の国でどこまで通用するか僕はまだ不勉強ですが、在日コリアンに対する日本の制度の不備を補うべく準備しておくことが重要になってきていることを知っておいてください。
ちなみに、ケースにもよりますが朝鮮籍(あくまでも日本での扱い)のままでも韓国家族関係登録簿への登載の道はございますので、具体的なご相談は私ども『そん法務事務所』まで。