『半沢直樹』のクライマックスは予想していた通りだった。?その2?
- 2013.09.27(金)
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『半沢直樹』にあやかったおかげでブログの閲覧数が大幅にアップしたので、今日も過去のバンカー時代の話をしよう。
バブル崩壊直前の1991年に高卒ルーキーで入行した我々の同期は実に70人近くに上った。
研修では、当時30代前半と思しき総務部の男性職員が、『近い将来、我が組合もニューヨークへ支店を出す日がくるだろう。諸君もその時に備えて英語を習得するように!』と真剣な顔で話していた。
その表情からは微塵も冗談を言っている様子は伺えない。
泊りの研修は当時組合が保有していた高級リゾート施設で実施されるなど、経済しかり社会がなんたるやも分かっていない小僧にとっては夢のような未来を想像させた。
入行した後もそれは続き、ボーナスは年に4回(うち2回は決算手当。)支給され、社員旅行も青年部のものを含めると年3回に及んだ。
しかしそんな状況も長くは続かなかった。
ボーナスは通常の年2回になり、入行1年目に行ったスキー旅行では最上階に温泉のある豪華なホテルに泊まったのだが、2年目には場末の民宿へと激変したのだ。
そのうち右肩上がりだった預貸金が減少に転じ、バブル崩壊とともに組合の体力は確実に失われていった。
それから10年以上の月日を沈みゆく“難破船”に乗って過ごした僕だったが、その後2度の経営破たんを経験したことで『とてもじゃないけど顧客とフェアな立場で対話する精神状態』になれず、また仕事に対するモチベーションも完全に劣化してしまったことで退職を決意したのである。
退職後、尊敬していた司法書士の先生に言われたことがる。
『君は組合で2回もの組織の破たんを経験したのだからその経験を無駄にしてはダメだ!まず最初に破たんに至った経緯を詳細に調べて記録を残すべきだ。それを君がやれ!』
その当時はあまりピンとこなかったその言葉だが、今となって思うのは、その司法書士の先生の言う通り『失敗の原因を精査して記録にとどめて、必要に応じて責任を追及すること。』
これが組織の再出発と人間自身の再出発においてとても重要なのではないかということ。
果たしてそれは実現されたのだろうか。
辞めてから既に10年近い歳月が経つが、『半沢直樹』を見てそんなことも頭をよぎったのであった。
お終い。